| 2002年10月 |
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| 29日 (日) |
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曇天の日曜日、区民運動会まわり。まずは、地元の錦林小学校での聖護院学区、久しぶりにラジオ体操をする。それから八瀬では、来賓レースのグランドゴルフリレーに出て、その後、岩倉北、下鴨を回って、地元のわが母校、第四錦林小学校の運動会、最後は、また聖護院に戻って、うどんをご馳走になり、最後の抽選会のくじも引かしてもらう。心配されていた雨も降らなかってよかった。 京大病院に二人の友人を見舞い。ひとりは、検査入院で、結果は大丈夫。ぼくのなじみのスナックの元マスターは大手術だったが、順調に快復しているとのこと。安心した。 夕方、事務所で明日の厚生委員会の質疑をするために資料を読み。質問メモを作る。8日の会期末を控えて、来週はバタバタしそうだが、紛糾することはないだろうと思うけど、どやろ? |
| 9月30日 (月) |
| 朝から厚生委員会。 環境局とは委員会付託されていたゴミ収集車の事故による損害賠償額の決定について審議。僕は、民間会社のゴミ収集車(京都市が委託をしている)庸車の事故についての対応について質疑し、一般質問では、この10月から小型金属類の分別収集が始まり、土曜日の収集が廃止になるなど、ゴミ収集が大きく変更になるので、その対応についてと、北部クリーンセンターの造成工事にかかわり、入札業者が不祥事をおこして契約ができない状況にあるので、今後の工期の遅れや入札の方向について質疑をした。 次に、保険福祉局からは、障害者の支援費制度に関わること、障害者実態調査報告、精神保険福祉に関する調査報告などが行なわれ、質疑があった。共産党議員が紹介議員になっている請願については今回は留保。その後、一般質問に入り、民医連中央病院の手抜き検査について追及が行なわれた。この病院は、共産党系の病院ということで、政治問題化しつつあるのだ。その後、僕は交通バリアフリーと「人にやさしい街づくり要綱」について少し議論をして、次回の委員会に所管の都市計画局を呼ぶことを委員長に提案した。 夜は、在日とソウルからきた友人たちと一杯飲み。ハングルと英語と日本語で楽しいひととき。 その後、京都の市民運動でがんばってきた石田紀郎さんが来春京大を退官するので、記念冊子が作られることになり、その原稿書き。石田さんとは、20年余のつきあいになる。 |
| 10月1日 (火) |
| 秋だ! 昨晩から左手の手首がずきずき痛むので、近くの整形外科に。近所のお年寄りがたくさんリハビリに来られていて、「鈴木さん、どないしはったん?」と声をかけてもらう。レントゲンを撮ってもらうと、痛みの原因は、手首の筋が伸びていたのだ。思えば、昨日議員団室のドアを空ける時にひねったらしいが、老化したものだ。ショック!ギブスをする羽目になった。 ギブス姿で市役所に。みんなからどないしたん?と言われてまいった。めげずに建設消防委員会を傍聴。京都市職員のこの間の逮捕事件についての調査中間報告が出され、事件の真相や今後の対策についてやり取りを聞く。春以来、3人の逮捕者を出し、自死した幹部もおられる。水道関係の業者も逮捕され、まだまだ波及するのではないか。膿を出し切る必要がある。 鴨沂高校の大先輩で、この10月に本を出版される梶宏さんが議員団室に。また北朝鮮の映画上映について関係者から相談を受ける。拉致事件で世論が北朝鮮に対して硬化しているときに色々と配慮をしなければならないのだ。 夜はわが学生時代の同志社ベ平連のO氏、地区反戦のT 氏と一杯呑む。30年前の話が酒の肴。ほろ苦い思い出が山ほどあるな。 |
| 2日 (水) |
| 公営企業決算特別委員会は総括質疑。この市会から議員団室でモニターテレビでその委員会の模様が見れるようになった。交通局、上下水道局、市立病院について質疑がされた。交通局のルネッサンス計画が大きな論議に。 昼の時間には、理事会が召集され、各委員会の委員長から審議状況の報告を受け、今後の会期末の日程を決定。討論結了は7日(月)の午後2時からに決めるが、さて予定通りに進むだろうか?追加議案は、教育委員の選任など人事案件について。 新しいインターンの三谷さん(同志社)登場、モニターテレビで委員会を傍聴してもらって、その後議員団室で、ぼくがギブスをした左手首が痛くてキーを叩けないので、「ひとくち日誌」を口述し、彼女に打ち込んでもらう作業など。 夜は、ソウルからきた友人の送別会。ケンチャナヨ!アンニョギケシピショ! |
| 3日 (木) |
| 9月市会定例会も会期末を控えて、議員会。 昨日の理事会の報告ということで、ぼくが今後の日程や追加議案について報告をしたのち、地方自治法第99条により政府に対して意見書の提出ができるので、まずは議員団として、全林野から陳情が出されていた林業政策の充実を求める意見書と、この間の京都市元幹部職員らの不祥事についての決議をあげることを確認して、各担当者を決めて文書の作成をしてもらうことに。 夕方の5時までには、意見書と決議を他会派に提案する取り決めになっている。自民、公明、共産から出てくる意見書案や決議案を待つ。その間、理事ということで議員団室で、待機。共産党系の民医連中央病院の手抜き検査に対する決議が、大きな焦点になりそうだ。会期末は各議案への態度を決めることも大事な作業だが、5月市会で有事法制の意見書を巡って深夜まで揉めたように、この意見書や決議を巡って、いつも紛糾する。悪い予感がする。 今日は、休肝日。この間毎晩呑んでいたので、アルコールで消毒されたのか、手首の痛みもだいぶマシになったののと、わがホームページがリニュアルされたので気合を入れて、「ひとくち日誌」の書き込みなど事務所で雑務。 |
| 4日 (金) |
| 議員会。他会派から出されてきた意見書と決議を巡って論議。賛成のものもあれば、修正を求めるもの、反対するものなど方向性を論議して、他会派との調整を市会運営委員の小林議員にまかせることにする。その後、委員会に付託されていた公営企業決算やその他議案の審議状況を各委員から報告を受けて、それぞれ賛成することに。但し、自動車運送事業特別会計(市バス事業)については、付す意見をつけることに決定する。小林議員からは意見書についての他会派との調整の動向を報告を受けつつ断続的に議員会を開催し検討そして待機。夕方、共産党から出されていた米ブッシュ政権の対イラク武力攻撃に対する意見書について、対案を急遽出すことにして、ぼくが文書を作成する。色々と会期末を控えて調整が始まるが今日は時間切れで、月曜日に持ち越される。この雰囲気で行くと7日の討論結了は遅くなりそうだ!かなわんな。 夜は、ゲイジュツの秋、下鴨の「アトリエ劇研」でユニットNOTEBOOKの芝居「Requiem」を観劇。作・演出のたまきはるさんは、ぼくが学生時代にマスターをしていた喫茶「駱駝館」の客で、「駱駝館」が舞台になっているということで見に行った。なるほど髭をはやしたマスターが登場した時は苦笑した。現代の学生と仕事や生き方に悩む30代の世代、そしてわれらの全共闘世代の生き方などが描かれ、とりわけ日本語の変わりよう(彼女は国語の教師だったかな?)が、テーマだった。ひとりの青年のモデルは、福山哲郎参議院議員だということだった。ちょっとカッコよすぎたかな? 芝居の引けた後、久しぶりに会う「駱駝館」当時のメンバーと回顧談。「駱駝館」は1974年から確か77、8年まで、同志社は烏丸今出川西入るの2階の喫茶店。コンサートや映画会もしたり色んなことをやった。当時は、「ほんやら洞」とライバルだった。もう30年近く前のわが青春時代。 |
| 5日 (土) |
| 昼前、左京区大原は小出石へ。高野川上流の河原で、埋蔵文化財研究所の労働組合の友人たちが野外パーティ。山で採れたキノコで鍋。ほんまにだいじょうぶかいな、と冗談をいいながら賞味。美味かった! それから岡崎は洛翆園という名園での日本ペンクラブの京都例会に参加。桝本市長も挨拶。わがベ平連時代からの友人、作家小中陽太郎さんや10年前に日独平和フォーラムでドイツに一緒に行った友人と再会したりで、秋の陽射しを浴びながら歓談。それから、東本願寺大谷会館での「部落問題全国交流会ー人間と差別を巡って」に顔を出す。藤田敬一さんが発行している「同和はこわい考通信」と「こぺる」の読者が中心の80人ほどの集まり。同和行政が終結を迎える今、これから部落はどうなるのか、真剣な議論が行われていた。いつもなら、ぼくは最初から夜の懇談会までいるのだが、今回は、少しの時間議論を聞いただけ。 それから岩倉の国際会館へ。知人の工務店の人たちのパーティに参加して、ワイン一杯だけいただいて、次に山科へ。京都・水俣病を告発する会のメンバーでわが飲み仲間のT君の結婚披露のパーティ。53才にしての結婚。メデタイこっちゃ! |
| 6日 (日) |
| スポーツの秋。地元は吉田体育振興会主催の吉田学区区民運動会がわが母校の第四錦林小学校で。吉田在住の府市会議員は顧問ということで、開会式から参加。地元の子供たちや老若男女が町内対抗や個人競技に一日を過ごす。 ぼくは、挨拶もそこそこに養徳学区、浄楽学区、岡崎学区の運動会も回り、体育振興会の役員さんらにご挨拶。市会議員の鈴木さんがお見えですと、各所で紹介してもらう。他の議員も今年は選挙前ということもあり各所で出くわす。 ゆっくり喋りたかったが、なにせ地元の運動会の方が今は大事。運動会に戻って、最後の競技の後の抽選会のくじを引く役。醤油やお米などの商品に自転車とテレビもあり、会場からは一喜一憂。 夜は、友人の韓国料理の店「新羅」が開店2周年を迎えたのでお祝いの会。藤田敬一さんや仲尾宏さんらと秋の夜長に一献傾ける。午後は京都会館での日本ペンクラブ京都フォーラム「ライターズ・イン・プリズンー文学の力、表現の冒険」のシンポジウムに参加。「縄文人から見た人類の未来」とタイトルで梅原猛さんとエッセイストの阿川佐和子さんが軽妙なやりとり。その席で、国際ジャーナリスト、芝生瑞和に20年ぶりくらいに再会。 |
| 7日 (月) |
| 午前10時過ぎに議員団室に。 会期末の本会議を明日に控えて、各会派から提出された意見書や決議を巡って調整が続き、断続的に議員会。わが会派からは市会運営委員の小林議員が右往左往。焦点は、民医連中央病院の手抜き検査を巡っての決議。いわゆる共産党系の病院の失態をどう糾弾するのか、選挙を来春に控えて、政治問題化したのだ。自民党の提出した「京都民医連中央病院の検査虚偽報告及び不正請求に関する徹底糾明を求める決議」案に対して当然のことながら共産党が猛烈に反発。公営企業決算や委員会に付託された各議案については、大きな問題になることなく、この決議を巡ってのみ紛糾。ひたすら議員団室で待機。雑誌を読んだり将棋をしたりしながら時が過ぎるのを待つ。なお米ブッシュ政権の対イラク武力攻撃に対する意見書は、全会派一致にならなかったので降ろすことになった。残念だ。夜10時を過ぎて、ようやく理事であるぼくの出番。今後の見通しなど他会派の理事と接触を図りながら局面の打開を図るが、ともかく付託された議案への態度決定をする討論結了の委員会を開催しようということを決めたのが、深夜。そしてなんと真夜中を過ぎて、午前2時30分から常任委員会と公営企業決算特別委員会が開催され、ようやく討論結了になったのだ。共産党の抵抗も当然だが、5月市会の有事法制を巡る意見書で紛糾したが、今回はふって沸いたような民医連中央病院の失態で、市会が空転したのだ。市役所を出たのは午前3時30分。疲れるよ。ほんまに。寝たのは4時をまわっていた。 |
| 8日 (火) |
| 市役所の議員団室を出たのは午前3時30分。自転車で帰宅。ビールを呑んで寝たのは午前5時前。3時間ほど横になって、8時過ぎに起床。シャワーを浴びて午前10時過ぎにまた市役所の議員団室に。
もともと本会議は、午前10時開会の予定だったがこの間の紛糾でいつ開会になるか予想がつかない。理事として、他会派の理事に様子を聞きながら、今夜も遅くなることを覚悟する。その間、自治労市職労の執行委員会でこの間の情勢を報告したりしていると、共産党から民医連の決議に対する対案が出てきたところで、共産党の抵抗も収まりかけて、議会が動き始める。この市会の大きなテーマであった公営企業決算(病院事業、上下水道、市バス・地下鉄)については、共産党が市バス事業について、認定せずということだったが、上下水道事業については一個の付す意見をつけて、すべての決算を認定した。また人事委員会委員、教育委員会委員の任命などをした後、共産党からは公共事業の贈収賄事件対策特別委員会の設置の提案があったが、各常任委員会で議論も出来るので与党会派で否決。 各議案の態度表明と本会議の日程を決める市会運営委員会がようやく午後3時30分に開催され、本会議のベルが鳴ったのは夕方5時前。 さて、9月市会定例会の会期末の本会議。左京区は百井の地域水道設置の請願を全会派賛成して採択。各委員会に付託されていた議案の審議について各委員長が淡々と委員長報告をして「伝統的景観保全に係る防火上の措置に関する条例の制定」などすべての議案を可決。 それから「日朝国交正常化交渉と拉致事件の真相究明を求める意見書」、わが会派が提案した「森林・林業・木材関連産業政策の確立を求める意見書」、「安全で快適な学校を目指し施設改善を求める意見書」「税制上の軽減措置などヒートアイランド対策の推進を求める意見書」「少子化社会対策基本法の早期成立を求める意見書」「奨学金制度の拡充を求める意見書」は、全会派一致して可決。「青少年が健全に育つ社会環境形成に関する基本法の制定を求める意見書」は共産党が反対。「個人情報保護法の早期制定を求める意見書」についてはメディア規制の恐れもあるので、共産党とわが議員団は反対。そして、わが議員団が提案した「元市幹部職員の続発する不祥事に関する決議」は、全会派一致して可決。 最後に問題の「京都民医連中央病院の検査虚偽報告及び不正請求に関する徹底糾明を求める決議」と共産党から対案で出された「京都民医連中央病院の検査結果虚偽報告に関する意見書」では、共産党から2人の議員が、自民党から2人、公明党から1人の議員が提案説明と賛成討論に立ち、議場は野次合戦で騒然となる。終わったのは、午後7時すぎ。その後理事会が開催され、当局から11月市会の日程案の提示。 すべて終了後、睡魔に誘われながらも、近くの居酒屋で議員団の打ち上げ。 民医連問題がなかったら、平穏に終わる市会だったのにと思うと、正直、むなしさを感じた2日間であった。疲れるよ。ほんまに。 |
| 9日 (水) |
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9月市会定例会が、ともかく終わってほっと一息。日曜日のような気分。たまにはなんとなくぼーっとしていたいが、そうもいかず。 この春消防署を退職した友人の奥さんの告別式。高校時代の友人から相談ごとは、年老いたオヤジさんの介護に係わり家の今後のこと。 午後は、わが母校第四錦林小学校の伝統文化部の子供たちによる剣鉾の練習を見学。地元の吉田剣鉾保存会の長老の指導のもと、小学校のクラブ活動として地元の伝統文化がこのように子供たちに伝承されることは、素晴らしいと思う。先生方の熱意にも共感する。そして、小学生たちが3メートルほどの剣鉾をさして練習する姿は、可愛いものだ。(10月14日の朝日新聞と京都新聞に秋祭りで町内を歩く子供たちの記事が載ったよ)。 夜は読書の秋。友人のジャーナリスト芝生瑞和著の「アメリカよ、驕るなかれ」を読み始める。 島津製作所の若き研究者の田中さんがノーベル賞受賞の報、久しぶりの明るいニュース。 |
| 10日 (木) |
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国際会館での「全国精神障害者家族大会・世界精神障害者家族団体連盟世界大会ー家族のパワーが未来を拓く」に参加。精神保健福祉法が95年に制定され、今年から「精神分裂症」と呼ばれてきた病名が「統合失調症」に変更されたが、精神障害者に対する心のバリアは、今も根強い。市会でぼくも精神保健福祉対策の充実を求めてきたが、さらに心のバリアフリーに向けて努力をしたいと思う。 昼は、19日に予定している「鈴木と北岡ちはる府会議員としゃべる会」の会場を貸してもらう「北山ラーメン・てっちゃん」で美味しいカレーラーメンを食べながら打ち合せ。午後、京都新聞社に友人を尋ね13日の吉田のお祭りの子供剣鉾の取材を頼みに行く。夜は、吉田神社の祖霊社にて「十二提灯」と子供神輿の飾り付け。十二提灯が復活して10数年、ぼくがこの保存会の責任者になって5年ぐらいか。ギブスをつけたままなので動きが鈍い。剣鉾の練習が行われているのを激励に。明日から、おまつりモード! |
| 11日 (金) |
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早朝午前6時過ぎ、吉田神社の今宮社に。本神輿出しと飾り付け。眠たい!神輿の復活を目指して氏子が集まって今宮会が結成されたのは確か23年前。長老や職人さんたちが活き活きと神輿の飾り付けを進めていく中で、ぼくはこまごまとしたものを運んだりの役。最初の神輿巡幸のことを京都新聞に書かしてもらったことがある。あの切抜きはどこにいったのだろう。その後、第四錦林小学校と自治会会館から椅子、テーブル、テントなどを参道に運び、夜店のテント張りの準備。力仕事が続くがギブスの手では余り役に立たないな。それから、神輿が通るので駐車禁止のポスターを貼る作業。夜は十二提灯・子供神輿の巡幸。祭りだ、ワッショイ!マイクを持って全体の指揮。60人ほどの幼児から中学生まで2基の神輿を担ぎながら吉田のまちを2時間ほど練り歩く。ローソク代として寄付をいただき子供たちには夜店の券を配る。子供神輿巡幸後は、宵々宮の夜店でビールを飲み、それから本神輿の横のテントで、警備を兼ねて今宮会のメンバーと一杯のみ。帰宅したのは深夜12時。祭りの始まりの長い一日。 |
| 12日 (土) |
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昼前、左京区は北部の静原へ。秋晴れの一日、コスモスフエアーが開催。休耕田にコスモスが花盛り。地元の役員さんや子供たちが大活躍で、餅つきや竹とんぼつくりやザリガニ釣りやお祭り気分。都心からの市民も秋を満喫されていた。 午後3時から、十二提灯子供神輿の巡幸の2日目。今までは二日間とも夜に巡幸していたが、3連休になったので初めて昼にすることに。提灯の灯火の風情はないのが寂しいが、昼間は安全で気分が楽。幼児をベビーカーに乗せた若いお母さんたちも多くて、子供たちは80人ほどの参加で、無事に終ってほっとした。夕方、事務所で映画「白神渡海」上映のチラシについて印刷の福祉工房P&Pと打ち合せをした後、また吉田の宵宮へ。地元の有志による夜店では、焼きそばや輪投げに綿菓子など子供たちも大喜び。9時過ぎにテントの撤収などを手伝いした後、そのまま昨晩に続いて本神輿横で今宮会の仲間と一献を傾ける。 |
| 13日 (日) |
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朝、運動会まわり。わが百万遍の事務所は養正学区にあるのでまずは養正学区区民運動会に。共産党の市議予定候補らも来ていた。ラジオ体操をして、次はぼくが学生時代に引越しのアルバイトをしていた時の師匠が体育振興会会長になった松ヶ崎に。さらに錦林東山と川東学区の運動会を回る。11時過ぎにハッピに着替えて、いざ吉田今宮社の神輿担ぎに、すでに出発した後だったので途中で合流。10月中旬にしては暑い一日。神輿の前後で交通整理などがぼくの役目。終盤の近衛通からは、第四錦林小学校の伝統文化部の子供たちの子供剣鉾を先頭に、十二提灯・子供神輿・上大路町の樽神輿が続き、今宮太鼓の演奏もあり、さらに大人の剣鉾、本神輿と実に賑やかな祭りのフィナーレが繰り広げられたのだ。 神輿を拝殿に戻した後、第四錦林小学校の校長先生らを来賓にした直会(反省会)も大いに盛り上がり、帰途上大路町の皆さんとも一杯飲んで、フラフラで帰宅したのは午後10時頃だった。酔っ払って記憶がどこかで飛んでいた。 |
| 14日 (月) |
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朝7時過ぎから、神輿の後片付け。長老らの指示に従って倉庫に仕舞う作業。二日酔いで気分が悪いが、無事に片付け終わる。もうクタクタ。ようやく祭りが終わった。虚脱感。ひと寝入りして、高野川沿いの創価学会京都平和講堂に初めて入る。公明党の親しい市会議員から招待を受けていた「日中国交正常化30周年記念・偉大な指導者周恩来展」に。創価学会の人との付き合いは、ぼくは数人の公明党の議員を除いてほとんど付き合いがないが、立派な講堂にびっくりし、周恩来首相とともに池田大作氏が日中国交正常化に果たした役割が大きくクローズアップされていたのが印象的。 夕方、映画「白神渡海」の上映委員会の打ち合せ。学生時代からの友人、公明党の角替府会議員も委員会のメンバー。代表の仲尾宏さんが近日中に入院するということで心配だ。上映の成功に向けてともかくがんばろう! |
| 15日 (火) |
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祭りも終わった!気分も新たに日々の活動に戻ろう!朝一番、近くの整形外科に。手首の痛みはなくなったが、未だ完治せず、ギブスを交換してもらうがもう2週間の辛抱。 その後、京都市自治記念式典。特別功労賞に湯川スミさん堀場雅夫さんら、環境共生都市京都推進特別感謝状贈呈や永年勤続職員表彰など個人・各団体などの表彰式。環境問題に取り組んでいる友人たちも表彰されていた。 午後は、海外行政視察訴訟懇談会。昨年の北米への海外行政視察団にぼくは参加しているが、住民訴訟で係争中。代理人である弁護士さんと意見を交換。来客は、選挙通の宮田栄次郎さん。来春の選挙の予想を聞く。 夜は、久しぶりに事務所で郵便物や資料の整理など雑務をしたり、パソコンに向かい1週間前の8日の本会議の一日をひとくち日誌に書き込み。 北朝鮮から拉致事件の被害者の方々が24年ぶりの一時帰国。ピョンヤンからわずか2時間。どんな思いで24年間を過ごされてきたのだろうか、そしてこの数日を過ごされるのだろうか、そして真相の究明と今後の国交正常化への道は開かれるのだろうか。 |
| 16日 (水) |
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午前中、厚生委員会の視察で左京区は静市市原にある東北部クリーンセンターに。 10年前に計画が発表されたときから地元住民の反対運動が起こり現在も裁判が係争中だが、昨年より稼動し始めている。一日700トンの焼却能力を持つ。ダイオキシン対策や排ガス対策には万全で日本一クリーンな施設ということで発電施設もある。ビデオでその施設概要を見た後、場内を見学。なにしろ巨大な建物で直下に住むわが友人たちは、今でも反対の気持ちは変わっていないが、計画発表当時は、ぼくは何度も説明会に参加し、第3者の検討委員会の設置を提案したものだ。今後は公害防止協定を地元と締結することと、プールなど地元住民のための便益施設の建設が求められる。 事務所では、25日に予定している市政報告会の案内の作成や、北白川の由緒ある建築物の駒井邸の保存運動に関わってきた友人と懇談。 夜は、自治労文化市民支部の集い。動物園や西京極のスポーツ施設、またコミュニティセンターや埋蔵文化研究所やユース協会の労組のメンバーや当局の理事者と懇談。現場で働いているメンバーと話が出来ることは、市政のあり方を考える上でも有意義だ。 |
| 17日 (木) |
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午前中、久しぶりに時間があったので事務所でひとくち日誌の打ち込み。 来客は、京都市公共事業評価委員会の意見書を持って担当者が説明に。98年から京都市の実施する公共事業(主に道路建設や河川改修、土地区画整理事業、上下水道、公園など)について、透明性と客観性を確保するために大学の研究者など第3者の委員会を作り、費用便益分析などを駆使して、再評価が実施されてきた。同志社大学院総合政策科学研究科の「事業評価システム論」の講師でもあるぼくには、たいへん興味のある報告で、行政評価システムの導入についても提案してきたが、今後の公共事業については、市民の理解と効率性や費用対効果が求められるのは当然な時代になってきた。来年の講義に使わしてもらおう。 午後は、京大病院の友人を見舞いに行ったり、久しぶりに歯医者に。ゴリゴリと責められるのは、ほんまにかなわん。 夜は、地元の応援団のみなさんとミニ市政懇談会。25日に行う市政報告会や今後の活動について検討。25日にはゲストに北岡府会議員や前原誠司衆議院議員にも来てもらう。ぜひご参加くださいね。 |
| 18日 (金) |
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昼、ライオンズクラブ国際協会335-C地区のガバナー公式訪問合同例会に参加。ぼくは数年前に高校の先輩の吉岡書店さんに誘われて京都高野川ライオンズクラブのメンバーなのだが、今期はいちおう第一副会長。最近は例会もよくさぼるが、色々な職種の人たちと出会えて楽しい。このご時世、会員も減り運営もたいへん。午後、議員団室で教育委員会の課長から京都御池中学校の新築のことや市会事務局の担当者とは市会だよりの編集のことなどで懇談。9月市会定例会も終わって10日ほど経つが、ようやく議員団ニュース24号を打ち込む気になり、パソコンに向かい始める。来週早々には発行したい。またホームページのイベント情報など深夜まで打ち込み。 |
| 19日 (土) |
| 雨の土曜日。雨で予定されていた行事が中止になったので、午前中爆睡。 昼、内外学生センターでの「母と学生の会・国際女子留学生センター」のバザーに。前館長の山本公子さんが亡くなって寂しくなったが、新館長のもと、たくさんの留学生がバザーに詰めかけていた。留学生問題は、25年ほど前に京都イングリッシュセンターのスタッフとして調査提言したことがあるが、当時は300人ほど、今では3000人近い留学生が京都で学んでいる。京都市会で留学生問題を提起したのはぼくが最初、1期目のとき、10年前か。 3時過ぎから松ヶ崎は「北山ラーメン・てっちゃん」にて、「鈴木と北岡ちはる府会議員としゃべる会」。小雨降る中、15人の参加者。鈴木、北岡が簡単な自己紹介をした後、中学生の生き方チャレンジ体験、この間の京都市職員の不祥事問題と入札や公共事業のあり方、街灯設置の要望や少子化対策、歩行中のタバコの喫煙問題、ゴミの散乱やまち美化推進条例のこと、そして民主党のサポーター問題と党首選のことなど、質問やご意見をいただき、色々としゃべる。これから月に一回ぐらい「北山ラーメンてっちゃん」を会場にして続けることに。ご参加いただいたみなさん、ありがとう。次回はぜひご参加ください。その後、某保育園の運営問題について、関係者からその問題点と改善に向けてお話を伺う。色々と深刻な問題をはらんでいる。近日中に京都市の保育担当者に実情の把握について聞くことにしよう。夜は、雨の降る中、浄土寺は日吉神社の宵宮。模擬店とビンゴゲームなど賑やか。司会の友人に参加者の皆さんに紹介してもらったら、女子中学生たちが寄ってきて「鈴木マサホさんのポスター素敵ですね、握手してください」と握手攻め!ほんまやで!うれしくなった。 その後、浄楽学区の友人と飲みに行く。 |
| 20日 (日) |
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どんよりとした日曜日。9月下旬から始まった毎日曜日の左京区内の区民運動会回りも今日で最後、北白川の区民運動会に。美味しいうどんをご馳走になって、北白川在住の友人に声をかけたりしていたら、堀内寛昭さんから彼が編集した北白川天神宮の神輿を担ぐグループの若中会の「50周年記念誌」をいただく。郷土史のとしても優れた読み物になっている。その後、小雨降る中を田中神社のお祭り、それから八神社の神輿巡幸を見学。わが地元の下大路町の吉田山の南端での開発現場にて、開発業者からの工事説明会に近接住民のみなさんと立ち会う。隣接する墓地にわが家の墓がある。擁壁も高く風致地区でもあり、また土砂の搬出など課題が多いが、住民要望を聞いて安全に工事を進めてもらうことを確認する。夕方、25日の市政報告会の案内などのメールニュースの発送などの雑務。夜は久しぶりにテレビで映画など見ながら夕食。 |
| 21日 (月) |
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8年前から乗っているわが愛車、三菱ミニキャブの軽貨物車を車検に出す。クーラーがついていないので、今年の暑さにはまいった。来夏はクーラーをつけるぞ!知人の工務店の人からの相談ごと。建築確認のことと道路のことなど。午後は、地元を市政報告会の案内をもって自転車に乗って郵便配達。学生時代にアルバイトで大丸の配達をしていたことがあって、慣れたもの。当時は、自転車で山ほど積んだお歳暮やお中元を一日300個ほど配ったものだ。その時のことを思い出しながら、所々で知り合いにあって、四方山話。 夜は、わがホームページの立命館の大学院生の若き管理人たちと百万遍西入るの「モダン焼フジ」で、今後のホームページの更新やバージョンアップについて協議。ここのモダン焼きは色々な種類があって、ボリユームもすごい! |
| 22日 (火) |
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時代祭り、秋晴れでよかった! 映画「白神渡海」の上映に向けて, 会の代表であり日韓日朝史の仲尾宏さん(京都造形芸術大学客員教授)が映画の主人公李三平と有田焼の起源など日韓の歴史的背景のスライドによる解説を録音テープにとる作業。また教育委員会の担当者と市立高校における外国人教育の研究会の立ち上げについて懇談。 公共事業の再評価システムについて担当者と勉強会。4年前に国庫補助事業だけで始まったこの試みも今では単独事業にも及び、景観や文化財など京都のまちにふさわしい評価指標が工夫され始めたことが評価できる。費用便益分析を説明するのは難しいが、今後様々な評価システムが開発、定着するであろう。また事前評価と事後評価がこれからの課題。 議員団室で議員団ニュース24号の打ち込みをしていると友人の若い新聞記者など何人かが来室、四方山話。仕事がはかどらず。 夜は、議員団理事なので9月市会の市民への広報紙「京都市会だより」23号の校正。編集は市会事務局政務調査課の皆さん、なんやかんやとご苦労さん。また明日の厚生委員会に向けて、介護保険の見直しの資料読み。 |
| 23日 (水) |
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厚生委員会。 環境局とは、ぼくは、先週に委員会で視察した左京区は市原の東北部クリーンセンターのことで、地元との公害防止協定のことや見学者のこと、また10月から始まったごみ収集日の変更の影響と新たに始まった小型金属類の分別収集の取り組み状況について質疑をする。 保健福祉局からは、京都民医連中央病院の細菌検査虚偽事件について京都市が立ち入り検査した経過や対応、確認事項や今後の対応について報告があり、質疑。それによると98年10月から4年間に2411件について虚偽の報告が行われていたという。今後は原因真相究明委員会を作って背景など原因の糾明と患者への影響を調査し、保険診療不正請求についても返還の要求をすることになる。昼から、「京都市高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」の中間報告について説明があり質疑。今後の施策の方向性など書かれているが,問題は介護保険料の値上げの問題だ!説明会が11月に開催され、パブリックコメントを求めている。次回の委員会で本格的な議論をすることになる。京都府マッサージ師会から出されていた「あん摩マッサージ指圧師等に関する法律等の遵守」の請願は留保。 終了後,先日相談を受けていた某保育所の問題で、担当者と実情についての経過を聞いたり、鴨沂高校同窓会の友人と懇談。 夜は、京都の市民運動のリーダーの一人である京大教授の石田紀郎さんが来春退官をするので、その祝いを兼ねて1984年に京都で開催した丸木夫妻の「原爆の図」展の同窓会をしようということで、「市民センター左京」の昔の市民運動の仲間たちが集って準備会。来春3月29日(土)にやる予定。「原爆の図」展に関わった皆さん,ご連絡ください。 |
| 24日 (木) |
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午前中、吉田山の南端のわが家の墓地がある隣接地の宅地開発のことで業者による説明を墓地の管理者の長老とともに受ける。境界の問題と風致の指導に従うことを確認。 午後は、韓国民団本部で、映画「白神渡海」の上映協力のお願いと南北情勢についてお話を伺う。議員団室では、農薬散布問題で地元住民の反対運動が長年続いていた一乗寺市民農園が閉園になるという報告を担当者から聞く。当時、地元と開設者である京都市の担当者と意見の調整で苦労したことを思い出す。 また9月市会定例会の報告として議員団ニュース24号の編集作業をやっと終わる。8日が会期末だったので、2週間遅れのニュース。気の抜けたビール、氷の溶けた水割りみたいなもの。でもぜひ読んでほしい。 夜は、市役所OBでわが高校の先輩の梶宏さんが、京都市政のドキュメントを出版されるので、10月31日に予定されている出版記念会の打ち合せ。呼びかけ人代表の元助役の奥野さんらと久しぶりに会う。お元気そうで何より。ぼくが1期目の血気盛んな頃,委員会で古都税問題について今川市長の責任を激しく問い詰めたときのやりとりの思い出を話され、苦笑。あれから15年たつ。今川元市長のご冥福を。 |
| 25日 (金) |
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午前中、映画「白神渡海」の上映協力のお願いに在日韓国人の大学の先輩宅などを訪問。快諾してもらい喜ぶ。なんとしても16日の上映会は成功させたい。みなさん,ご協力をよろしく。また京都まつりのワンコリアパレードのことで担当者と懇談。雨が降らなければいいのやけど。 午後は、議員団ニュース24号を庁内の組合や各局の庶務課などに配布。記事のメインは,京都民医連中央病院の虚偽検査についての決議を巡る攻防について。 夜は、わがホームグランドの京大会館で久しぶりの鈴木マサホ市政報告会。ゲストは北岡ちはる府会議員と前原誠司衆議院議員。参加者は地元吉田の人を中心に50人。会場は立ち見もでる盛況。来ていただいたみなさん、ありがとう。ぼくは主にこの15年間取り組んできた市政や市会の改革についてと、左京区の諸問題、議員の役割や来春の選挙情勢などについて喋る。ちはるちゃんは府会報告で高校制度と男女共同参画条例のことなど。前原衆議院議員は、北朝鮮拉致問題、景気の問題、民主党の問題など報告をしてもらう。 前原衆議院議員とぼくの顔が写った「市民が主役、KYOTO REVOLUTION」の新しい民主党のポスターの披露。左京区の友人の皆さん、お宅に貼らせてください! |
| 26日 (土) |
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午前中、錦林コミュニティセンターでの「人権ひろば錦林のつどい」に参加。 この集いは,5年前から取り組まれているが、錦林東山学区の各種団体などと、確か一昨年から部落解放同盟と全国部落解放運動連合会の両団体が実行委員会として協力をして運営されている。同和問題で共産党の議員とぼくが来賓に呼ばれるのは、当時は画期的だった。今年は,京都府立大学の宗田好史助教授が「地域を結ぶまちづくり」というテーマで講演、「暮らしに根づく交流のまちづくり」ということでシンポジウム。特別施策としての同和行政が終結を迎えた今、今後どう交流が広がり、どういうまちづくりがされるのか見守りたい。 午後は、全朝教のセミナーに少しだけ参加し、民主党京都府連の会議に走ったが,終わった直後だった。夕方は、吉田の祭りも終わったので、神輿を担いだ今宮会のメンバーでご苦労さん会。 さらに鴨沂高校の19期会に。今年は、同期生たちのバンド「ウインドウズ64」のオールディズの演奏があり盛り上がった。高校卒業以来、35年ぶりに会う同級生もいて2次会にも行く。みんな、オッサン、オバサンになった! |
| 27日 (日) |
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午前中、錦林東山学区の自主防災訓練をのぞき、吉田神楽岡のお祭りと今宮太鼓の演奏を見学して、続いて左京共同作業所のバザーに行く。左京共同作業所の代表の松葉弘先生は、ぼくが第四錦林小学校の1,2年のときの担任の先生。 昼過ぎ「京都まつり」に。御池通を堀川から市役所前まで各行政区(今年から半分の行政区の参加になりわが左京区は出ていない)の各種団体の人たちや、幼稚園から大学までのブラスバンドや企業、団体がそれぞれ趣向を凝らして歩く市民参加のパレード。うちのカミさんも「住みよい京都をつくる婦人の会」の一員として行進。ワンコリア青年学生ネットワークのパレードも無事に行われほっとした。冷たい風が吹いたが、雨も降らずに賑わった。 久しぶりに散髪に行って、夜は、ボーイスカウト24団(岡崎マリア教会)の創立50周年の記念の集いに。息子が小学生の時にカブスカウトで、今は娘がサブリーダーでお世話になっている。ぼくもデンダッド役もしたことがあり、今は育成会の会員。20年前のタイムカプセルが開かれたり、なつかしいスライド上映があったりで和気あいあい。楽しいひとときであった。 衆参補欠選挙で民主党大敗!鳩山・中野の執行部批判が出るだろう。しっかりしてくれよな!ほんまに! |
| 28日 (月) |
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近くの整形外科に。手首の捻挫をして約一ヶ月。医者からは完治はしていないので、もう少しギブスをした方がいいでしょうと言われたが、テーピングにしてもらう。この間、生まれて初めてギブスをしたが、動きにくいことはなはだしい。人からは、どないしはりました?と聞かれ、「酔っ払ってこけたんです」とか「ウエスタンラリーアートのプロレス技の練習で折れたんです」とか「犬に噛まれたんです」とか、楽しく答えることにしていたが、「議員団室のドアのノブを回すときに痛めた」というのが真実。公務災害にならへんかな?ともあれ、人騒がせなギブス姿もこれでお終い。 昼から仏教大学の水谷先生らを訪問して、映画「白神渡海」の上映協力のお願いに。映画の自主上映運動は地道にやらないと成功は難しい。みなさん!チケットを買ってください!夜は、事務所で資料の整理など雑務。 |
| 29日 (火) |
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朝夕、冷え込み始めた。初雪の便りもチラホラ。 市会議員のIT講習会。NTTデータの京都支店長内野さんの<「e-デモクラシー京都」−ICTでどう実現>ということで講演。ICTとはインフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーで、生活や行政がどう変わるか、他都市の実例もあげながら、これからの諸課題についてお話をうかがう。人や社会に役立つ醗酵と役に立たない腐敗という説明があり、そのバランスの中で個人情報の保護やセキュリティーを確保しながら新たな社会ルールを創ることでITC社会は発展するということ。大切なのはフェイス・トウ・フェイス。ICTはそのツールであるということが印象にのこった。午後は実技編で、インターネットを使った情報検索の方法など。各会派から20人ほどの議員が参加。 その後、選挙管理委員会や監査委員会事務局を訪ねて四方山話。また選挙の推薦依頼で労組や映画上映の協力のお願いに関係者を挨拶回り。夜は、上映実行委員会のメンバーと打ち合せ。 |
| 30日 (水) |
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議員団の他都市行政調査で、わが青春のオキナワに。伊丹から2時間のフライト。5年ぶり?の沖縄。 オキナワを初めて訪問したのはベトナム戦争下の1969年の夏。巨大な爆撃機B52が嘉手納基地から北爆を繰り返し、米兵が闊歩していた。その時は、FIWC(フレンズ・インターナショナル・ワーク・キャンプ)に参加し、西の果て与那国島まで行った。その時のことは、「思想の科学」に「20歳・夏・沖縄紀行」として長文を書いた。あれから33年ー。 空港が改築され綺麗になっていてびっくり。那覇市の市役所を訪問して、来年開通する沖縄都市モノレール事業について担当者から説明をうけて質疑。那覇市の人口は30万人。沖縄の公共交通は民間のバスで車の渋滞は凄まじく、復帰の頃からモノレール設置の必要性が論議され始めるが、第3セクターが設立されたのが82年。紆余曲折、バス会社との協議の末、96年にようやく本体着工され、来年には那覇空港から首里までの13kmの営業。全体事業費は1128億円。地下鉄の3分の1のコスト。「ゆいレール」という名称で走ることになるが、さて採算はどうなるかな?また京都でも桂から洛西ニュータウンまでモノレールにしたらどうか。沖縄は暑い。市の職員さんはアロハシャツのような「かりゆしウエア」を着用されていた。 夕食後、わが30年来の友人、元沖縄ベ平連の友寄君と京都から沖縄に移り住んだ師岡佑行さんと再会。泡盛とチャンプルーで近況報告。師岡さんは、京都で部落問題に長年取り組んでこられたが、沖縄で元気にされている。ぼくも退職後は沖縄で暮らそうかな? |
| 31日 (木) |
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沖縄は、知事選挙が告示。出陣式が行われていたが、盛り上がっていない様子。 午前中、公共下水道再生水利用下水道事業についての調査。市役所で担当者から説明を聞いた後、那覇浄化センターを見学。この再生水下水道事業とは、限られた水資源の有効利用リサイクルを目指すもので、下水処理施設に生物膜ろ過とオゾン反応の高度処理をすることによって、下水から再生水をつくり、公共施設や商業施設などのトイレ洗浄用水や公園などの散水に利用しようというもの。琵琶湖を水瓶にする京都は(今年は少雨で水位も低下しているので、節水になるかも)、水の心配はないが、沖縄では水問題は深刻。海水の淡水化など様々な取り組みがされている。来年の世界水フォーラムを控えて、再生水の利用は、今後の大きな課題。 見学後、ぼくは他のメンバーと別れて、バスでわが青春のコザに。米軍の基地をぬってバスは、今の沖縄市に。コザの街は、閑散としていた。1971年、もちろん復帰前、ベトナム戦争が続いていた時、PCS(パシフイック・カウンセリング・サービス)の米国の反戦活動家たちと一緒に反戦ビラを米兵に撒き3ヶ月ほど暮らしていた思い出の地。わずか30分のコザ。いささか感傷的な気分に浸りながら、バスとタクシーで空港に。かろうじて飛行機に間に合う。 夕方、ぼくも呼びかけ人になっていた、わが鴨沂高校の大先輩、市役所OBでぼくの初当選の時に社会党入党問題でお世話になった梶宏さんの「ドキュメント京都市政」(白川書院刊)の出版記念会。桝本市長が来賓で挨拶、奥さんの寿美子さんの琴の演奏などもあり大盛況。心温まる会だった。本は、戦後の京都市政の内幕をドキュメンタリータッチで綴り、貴重な資料でもある。ぜひご購読を。 |
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