京都市会議員 鈴木マサホ 公式Webサイト  www.masaho.com
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1991年(平成3年)
2期目の当選、市民に開かれた市政に第一歩

 1期目4年間の本会議質問や雑文、日誌をまとめた市民派議員レポート「なんだ坂こんな坂」出版。
 4月、社会党への逆風の中で、5115票で2期目の当選。清水府会議員は落選、「市民センター・左京」を解散し、現在の事務所に移転。財政総務委員会委員・健康都市づくり特別委員会副委員長に。
 第3回世界歴史都市会議がスペインはバルセロナで開催されたので参加。ブリュッセル、ケルン、ベルリン、パリなど初めて一人で海外視察。
 6月に6回目の登壇。情報公開(公文書の公開に関する)条例の制定を巡って質疑に立った。条例制定までの経過、市民の知る権利、各種審議会の公開、プライバシー保護、教育委員会の情報公開、今後の課題などについて質疑をし、議会も情報公開をしよう!と訴えた。


田邊市長のもと「京都市健康都市構想」が策定。保全・再生・創造の「まちづくり審議会」の答申。京都市公文書公開条例の制定や消費税転嫁条例で議論。市原に東北部クリーンセンターの建設計画の発表、地元左京区でもあるので右往左往。また比叡平西側の違法開発で行政代執行、ポンポン山ゴルフ場計画問題やJR京都駅と京都ホテルの改築問題や地下鉄東西線と5大プロジェクトが話題に。

宮沢内閣が発足、国際貢献・PKO(国連平和維持活動)議論、雲仙・普賢岳で火砕流が発生。千代の富士引退。

湾岸戦争勃発、南アフリカ・アパルトヘイト終結宣言、ソ連邦崩壊、ロシア共和国大統領にエリツイン氏、ユーゴスラビア崩壊・民族紛争が激化。


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