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1990年(平成2年)
社会党から除名、そして復党
「市民センター・左京」が中心となって、衆議院選挙で複数候補擁立運動を展開、2月社会党議員団を離脱し、社会党から除名になり髭を剃る。10ヶ月間、市会事務局に机を置いてもらい一人で議会活動。議会の動きなど情報も入ってこないし、無所属での悲哀を味わう。12月に社会党議員団に復帰。文教観光委員会委員・市民スポーツ振興対策委員会委員。
6月には、無所属ながら5回目の登壇。大見総合公園計画の見直し、深泥が池の自然保全、左京区北部の「ふるさと森都市」地域づくり、在日外国人の人権と民族差別をなくす教育、世界人権問題研究センターの設立について質疑をし、職業選択の自由―国籍条項をなくせと論戦を挑んだ。

一条山開発許可問題、大文字山ゴルフ場建設計画問題、マンション建設問題、JR京都駅改築問題、京都ホテル高層化問題、比叡平違法開発事件など開発問題と景観論争が盛ん。また議員定数を是正、上京、東山1名減、西京、伏見区1名増に。また市会決議「同和行政の見直しを求める決議」。京都高速道路計画の概要が発表、鴨川東岸道路と地下鉄烏丸線北大路・北山間が開通。水道料金の改定問題もあった。

バブル経済崩壊、日米構造協議、日朝国交正常化共同宣言、湾岸危機で国連平和協力法案が議論。

東西ドイツの統一、イラクがクウェートを侵攻。
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