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1996年(平成8年)
桝本市政の始まり、監査委員に

 1月村山首相退陣、橋本内閣に。田邊朋之市長辞職、激寒の2月、桝本市長誕生、日本社会党が社会民主党に名称変更。建設委員会委員・同和問題解決推進特別委員会副委員長、そして監査委員に。
 監査委員として、行政のあり方を別の角度から勉強できた。後に「これからの政策評価システム」(1999年 中央経済社刊)に、監査制度のあり方を中心に体験的政策評価論として文章を書いた。
 また歩きつづけて15年、「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」最終回。市会海外視察団でメキシコの姉妹都市グアダラハラなど中南米を訪問。7月に臨時市会が開かれて桝本市長の肉付け予算が審議。夏に仲尾宏氏らと釜山・ソウル3泊4日の旅、秋には藤田敬一氏と同和行政をめぐって公開対談。
 5月市会で12回目の登壇。「同和行政と制度疲労−自縛からの脱却を−自立と自治をキーワードに」ということで、ふたたび同和行政のあり方について問題提起を行った。
 以下は、その小見出しである。同和問題の解決に向けて、冷静に解決策の知恵を、新たな段階にある同和行政、京都市行政の停滞と制度疲労、自縛からの脱却をー行政依存と行政責任、キーワードは自立と自治、変わるべき隣保館のあり方、同和教育における公教育の限界、公務員雇用の功罪、見直すべき選考採用制度、行政・市民・運動団体も不断の努力を、同和問題解決のために新たな決意と人権文化の構築に向けて、根源的な政策提言を行った。


「もっと元気に京都アクションプラン」発表、市バス運賃220円に。缶・ビン・ペットボトルの分別収集スタート、京都市同和問題懇談会が意見具申

薬害エイズ問題で菅直人厚生大臣が国の責任を認め謝罪、病原性大腸菌O-157騒動、小選挙区での最初の衆議院選挙、社民党惨敗、自民党復調、自民党単独橋本内閣、第1次民主党結成、プロ野球オリックス日本一に、川崎市で国籍条項撤廃。

アトランタオリンピック、ペルーのリマの日本大使公邸にゲリラ篭城。


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